太平洋の潮風が感じられる茨城県北茨城市。この町の中心に位置する磯原駅は、単なる駅舎を超えた歴史と文化の発信地として地元の人々に親しまれています。今回は、磯原駅とその象徴的な存在である「からくり時計」の魅力について紹介します。

磯原駅の歴史と概要

磯原駅は1897年に日本鉄道の駅として開業し、1909年から常磐線の駅となりました。茨城県北茨城市に位置するこの駅は、相対式ホーム2面2線の地上駅で橋上駅舎が特徴です。1日平均乗車人員は約1,459人(2023年度)と小規模ながら、地元住民の生活を支える重要な交通拠点であり、北茨城市の玄関口としての役割を果たしています。

駅前を彩るからくり時計

磯原駅東口のロータリーに設置されている「からくり時計」は、駅前の風景を特徴づける存在です。このからくり時計は、北茨城市出身の童謡詩人・野口雨情への敬意を表して建てられました。

からくり時計の特徴

からくり時計の時計塔は、岡倉天心が思索にふけった庵「六角堂」をモチーフにデザインされています。六角形の優美な姿は、北茨城市大津町五浦(いづら)にある本物の六角堂を参考にしており、文化と芸術への敬意が形になったものと言えるでしょう。

六角堂は、明治時代に岡倉天心(岡倉覚三)が思索の場所として自ら設計したもので、2011年の東日本大震災で流出しましたが、その後再建されています。現在は茨城大学が管理しており、芸術や文化の発信地として大切に保存されています。

からくり時計の演奏と時間

からくり時計の最大の見どころは、野口雨情が作詞した童謡の演奏です。「シャボン玉」「七つの子」「青い目の人形」の3曲が、1日7回、各3分間演奏されます。演奏時間は午前9時、正午12時、午後2時、午後4時、午後5時、午後6時、午後7時です。時間になると六角堂の扉が開き、童謡に合わせてからくり人形が登場する様子は、駅を訪れる人々の目を楽しませています。

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童謡詩人・野口雨情との深い関わり

野口雨情について

野口雨情(1882年5月29日 – 1945年1月27日)は、茨城県多賀郡磯原町(現・北茨城市)に生まれた詩人、童謡・民謡作詞家です。本名は野口英吉で、北原白秋、西條八十と並んで「童謡界の三大詩人」と称されています。

廻船問屋を営む名家に生まれた雨情は、15歳で上京するまでこの地で育ちました。その後、東京専門学校(現・早稲田大学)に入学するなど、文学への道を歩み始めます。

代表作品

野口雨情の代表作には「十五夜お月さん」「七つの子」「赤い靴」「青い眼の人形」「シャボン玉」「こがね虫」「あの町この町」「雨降りお月さん」「証城寺の狸囃子」「よいよい横町」など、多くの名作があります。これらの作品は今も多くの人々に親しまれており、子どもたちの心を捉えつつも、大人も共感できる深い情感が込められています。

からくり時計で演奏される「シャボン玉」は、はかない命の象徴とも解釈され、「七つの子」はカラスの親子の会話を通して親の愛情を描き、「青い目の人形」は国際親善の象徴として作られた人形の物語です。これらの童謡には、単なる子ども向けの歌以上の深い意味が込められています。

磯原駅と野口雨情

磯原駅と野口雨情の関係は、からくり時計だけにとどまりません。駅の発車メロディも2002年5月24日から「七つの子」に変更されています。また、駅構内には野口雨情の作品をイメージした展示があり、地元出身の偉大な詩人を顕彰しています。

 

まとめ - 時を刻む駅の魅力

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磯原駅とそのからくり時計は、北茨城市の歴史と文化が凝縮された象徴的な存在です。野口雨情の童謡が流れる時計塔は、訪れる人々に郷愁と温かさを与えてくれます。また、駅周辺には多くの観光スポットがあり、一日かけて北茨城市の魅力を存分に味わうことができます。

磯原駅を訪れ、からくり時計の演奏時間に合わせて「シャボン玉」「七つの子」「青い目の人形」の優しいメロディに耳を傾けながら、地元が生んだ詩人・野口雨情の心に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。かつて雨情が愛した磯原の風景と、時を超えてなお人々の心を打つ彼の言葉の世界に、きっと心動かされることでしょう。

磯原駅には、単なる交通機関以上の、人と文化をつなぐ大切な役割があります。それは、からくり時計が紡ぎ出す音色とともに、これからも変わらず続いていくことでしょう。