今回は、東海村の村松虚空蔵尊(こくうぞうそん)をご紹介します。

東海村は、茨城県中央部の太平洋沿いにあり、日本国内で初めて原子力の火が灯ったことで知られています。「平成の大合併」では他の自治体と合併せず、村として存続する道を選び、その歴史を今に受け継いでいます。東海村は、県内の「住みやすさランキング(2023年度)」で2位に選ばれています。その主な理由は、東海駅にJR常磐線が運行されており水戸駅まで約15分で行けること、駅前のバスロータリーからは東京・名古屋・仙台・羽田空港行のリムジンバスがあることなどです。駅周辺には商業施設が並んでいるため買い物も便利で、コンパクトで住みやすい環境が整っています。もちろん、海もあります。

807年開山、村松虚空蔵尊で歴史と自然の神秘を感じる

村松虚空蔵尊は、その太平洋に面した砂丘地帯にあります。かつて空海が布教活動をしていたところ、光る老木を見つけ、それを虚空蔵尊菩薩として彫り上げ西暦807年開山したのが始まりとされています。ご本尊を祀る伽藍は「村松虚空蔵道堂」とも呼ばれています。

虚空蔵尊に行くと、まず見えてくるのが仁王門です。季節によっては「十三詣り」の看板が出ていることもあります。子どもが数え年13才になったら、智恵と福徳を司る虚空蔵尊菩薩に詣でるというならわしです。

茅葺き屋根の伽藍、村松虚空蔵尊の苦難と復興の歴史

本堂正面からは、残念ながらご本尊の姿は見えません。中央に虚空蔵尊菩薩像、左右に不動明王と毘沙門天像が鎮座しているということです。

虚空蔵尊は、長い歴史の中で2度の大火を経験しています。1度目は15世紀の戦乱の世にて、多くの伽藍が焼失しました。

その後何度も焼失と再建が行われ、明治33年には門前の民家から出火した火から延焼。屋根が茅葺きだったことから、ほとんどの伽藍が焼失してしまいました。大正から昭和にかけて伽藍群は再建され、今に至るというわけです。

村松虚空蔵尊を語るうえで、「白砂青松」(はくさせいしょう)という言葉をご紹介したいと思います。文字通り白い砂と青々とした松のある海岸を指す言葉で、まさに虚空蔵尊にふさわしい言葉です。

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訪問するのは夏がおすすめで、境内を歩けば、青い空と松の木から生まれる光と影のコントラストが見事です。奥にある神社方面に歩いていけば、【茨城百景】にも選ばれている村松海岸まで出ることができます。

静けさの漂う中、こずえを渡る風と波の音に包まれながら、一人瞑想してみてはいかがでしょうか。

※村松虚空蔵尊までは、常磐自動車道「日立南太田IC」を下り、一般道で約15分です。